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2017年8月23日水曜日

(973) クールビズ 28度


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(K0114) 人災と天災 / 「寄り添う」(1) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k01141.html
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 梅雨の間は晴れていて、梅雨が終わったら雨が続き、それが終わったらまた暑くなった。体がついていくのが大変だ。

 

「クールビズ 28度」と言われている。そこで問題(と答え)


(1) 「クールビズは設定28度」… これは正しいか
 
→ 正しくない。28度は設定温度ではなく、室内温度。


(2) 「クールビズ」は、浸透しているのか
 
→ 浸透している。省エネへの意識は高いとみられ人は75・5%


(3) 「クールビズ 28度」には根拠があるのか
 
→ 根拠がないと言った副大臣もいたが、今は根拠があるとされている。


(4) 「クールビズ 28度」は適切か。適切でないとするなら、高すぎるのか低すぎるのか
 
→ 室温28度で、寒すぎる人と暑すぎる人と両方いる。すべての人が快適だと感じる温度は存在しない。あえて一律に温度を決めるなら概ね適切と思われるが、もう少し高いほうが良いかもしれない


(5)  省エネと快適さは両立できるのか

→ 両立を目指し、立命館大学などで研究が進んでいる。例えば、「パーソナル空調」

 

【解説】

(1) 「クールビズは設定28度」… これは正しいか

 室内温度ではなく「エアコンの設定温度を28度にする」と認識している人が38・2%と最多。しかし、これは間違っている。

 環境省が示した「衣服を軽装にして、冷房時の室内温度を28度に調整」というクールビズの定義を正しく理解している人は23・8%にとどまった。(*1)


(2) 「クールビズ」は、浸透しているのか

 省エネへの意識は高いとみられ、75・5%の人が「職場でクールビズやスーパークールビズを実施している」と回答。(*1)

 
(3) 「クールビズ 28度」は根拠があるのか

(a) 根拠はない
 導入当時に担当課長として関わっていた盛山正仁法務副大臣が511日、この温度設定に科学的根拠がないことを明らかにした。…盛山氏はクールビズについて「科学的知見をもって28度に決めたのではない。何となく28度という目安でスタートし、それが独り歩きしたのが正直なところだ。働きやすさの観点から検討しては」と見直しを提案。(*2)

(b)        根拠はある
(b-1)
 クールビズの公式サイトによると、環境省は、室内の温度を17度以上28度以下と定めた「建築物環境衛生管理基準」と労働安全衛生法の「事務所衛生基準規則」を基に、『冷房時の室温28度』を決めた。(*3)

(b-2)
 山本公一環境相は(5月)12日の閣議後の記者会見で、地球温暖化防止のため職場で軽装を促す「クールビズ」の設定温度について「(室温)28度には根拠がある」と述べた。 … 山本環境相は設定温度について、クールビズを始めた当時のオフィスの室温が平均26度で、ネクタイの有無で体感温度が2度変わるとの研究結果を基にしていると説明(*4)

 
(4) 「クールビズ 28度」は、適切か。適切でないとするなら、高すぎるのか低すぎるのか

 一律に決めてよいかという疑問があるが、一律に決めるなら少し低すぎると思う。根拠は、三菱電機ビルテクノサービス株式会社のアンケート調査結果(*5)による

 調査の主な結果、オフィスの72.4%は設定温度が決まっており、その内、設定温度の最多は28℃でした。全体の約過半数(48.1%)が寒いと感じており、その内、82.5%が体調不良に結びついたと回答しました。

 また、“黙ってこっそり”温度変更する人は全体の過半数(62.1%)に上り、女性は温度を上げる(61.8%)一方で、男性は、温度を下げる(54.7%)傾向が見受けられました。さらに、こっそり変更したにも関わらず、元に戻される(全体73.7%)など、上げては下げられ、下げては上げられるといったエアコンの設定温度の変更合戦が、オフィス内で繰り広げられているようです。
 

(5) 省エネと快適さは両立できるのか

 同じ温度で、ある人は暑すぎると感じ、ある人は寒すぎると感じる。ある温度(例えば28度)に設定して、「暑すぎる人」と「寒すぎる人」の両方の人がいるなら、そこそこ、適切な温度といえるだろう。すべての人が満足する温度は、存在しない。

 技術的には、「パーソナル空調」が一つの解決のカギになろう(*6)(*7)。実は、現役で仕事をしているとき、この技術と少し縁があった。懐かしい。

 

出典

*1 「クールビズは設定28度」誤認
 産経新聞(2017/08/22 夕刊)
 http://www.sankei.com/life/news/170822/lif1708220009-n1.html

*2 クールビズの公式サイト
 環境省 “COOL BIZ”
 https://ondankataisaku.env.go.jp/coolchoice/coolbiz/

*3 クールビズの冷房28度、当時の環境省課長「なんとなく決めた」 科学的根拠なし
 “HUFFPPS”( In Association with The Asahi Shimbun )
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/11/cool-biz_n_16555154.html

*4 環境相「クールビズ、室温28度には根拠ある」 
 日本経済新聞(2017/05/12
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG12H4D_S7A510C1CR0000/

*5ビジネスパーソン1,000名に聞く、夏のオフィスのエアコンに関する意識と実態調査
 三菱電機ビルテクノサービス株式会社
 http://www.meltec.co.jp/press/AC.html
 添付図は、このサイトより。

*6ヒューマンファクターを考慮した空調制御・パーソナル空調
 立命館大学 近本 智行
 http://www.kinki-shasej.org/upload/pdf/20170616.No326.1.pdf

*7指向性・拡散性切換可能な吹出口を用いたパーソナル空調システムの実運用を目的とした研究
 立命館大学 小﨑 麻莉菜
 http://www.ritsumei.ac.jp/se/rv/chikamoto/paper/paper/2013b/2280100024-3.pdf

2017年8月22日火曜日

(972) 幸せな人って、どんな人


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(K0113)  個人Blog 8月中旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k0113-blog.html
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食べて元気になる

笑って元気になる

体を動かして元気になる

寝て元気になる

おしゃべりして元気になる

自分の為に頑張って元気になる

誰かの為に頑張って元気になる

感謝されて元気になる

感謝して元気になる

 

「貴女は、幸せな人だと思うよ」

 
「…
 そうかもしれないけれど、太ってしまう
 …」

 
そう、きたか。
 

「…
 小太りは長生きするらしい
 長く生きて、
 周りの人も幸せにしてください 」

2017年8月20日日曜日

(971) 人が人を「殺す本能」「殺さない本能」 / 大岡昇平『野火』(3-2)


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(K0112) 40代でもチャーミングな人の秘密 <個人の発達>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k011240.html
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100分で名著』 8月21日() 22:25 22:50 Eテレ 放映

 
 附属池田小事件(2001年)、秋葉原通り魔事件(2008年)、相模原障害者施設殺傷事件(2016年)などを考える時、「人を殺さない」という本能が「外れてしまった」ような印象を私は受けている。





 「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになる」

 日本で殺人のニュースがよく流れているという理由により日本で殺人が多いような気がするが、それは逆に、日本で殺人が起こるのが稀だからニュースになっているだけのことである。殺人がたくさん起こって一つ一つをニュースに取り上げると、ニュース番組が長くなり、新聞が分厚くなって、それでも他の記事は書けなくなってしまう。「幸運に」と言ってよいのかわからないが、日本は今のところ大規模なテロに見舞われていない。
 
 その結果、多くの日本人が思い浮かべる殺人は「三人称」の殺人であって、「二人称」「一人称」の殺人ではない。「三人称」は「見ず知らずの人」「親しくない人」、「二人称」は「家族や友人など親しい人・身近な人」、「一人称」は「自分自身」である。

 その結果、思い浮かべる殺人には、リアリティがない。頭の中でくみ上げただけのものになる。だからと言って、殺人リスクのある所に、わざわざ行くことはない。

 
 殺人が日常に行われているのは戦場である。戦場にいかなくても、映画や小説や解説本によって疑似体験はできる。例えば、今回取り上げている「野火」である。現実ではないが、少しは現実に近づける。
 

 「殺さずに済ませたい本能」をキーワードとして、私はテキストを読んでいった。
 

【今投稿の目次】

(1)  殺されそうなら殺してもよい

(2) 「殺さずに済ませたい本能」

(3) 「殺さずに済ませたい本能」の抑制1

(4) 「殺さずに済ませたい本能」の抑制2

(5) 「殺さずに済ませたい本能」の出所1

(6) 「殺さずに済ませたい本能」の出所2

(7) 「汝、殺すなかれ」という神の声

(8)  神の声を聞く

 

【各論】

(1)  殺されそうなら殺してもよい

 「戦場においては、相手が私を殺す可能性があるのだから、自分も相手を殺す権利がある」という前提がないと、前線には行けないだろう。

=====引用はじめ
 「自分の生命が相手の手にある以上、その相手を殺す権利がある」と思っていた。従って戦場では望まずとも私を殺し得る無辜の(罪のない)人に対し、用捨なく私の暴力を用いるつもりであった。
=====引用おわり

この文の後に、続く。

=====引用はじめ
 この決定的な瞬間に、突然私が眼の前に現れた相手を射つまいとは夢にも思っていなかった。
=====引用おわり

自分の眼前に現れたひとりの若いアメリカ兵士を撃たなかったときの様子が、上のように『俘虜記』に綴られている。
 

(2) 「殺さずに済ませたい本能」

=====引用はじめ
 この戦争の原則は、実は、本能に反しているという説があります。つまり、どんな兵士でも、前線で突如敵と相対した場合には、なるべく相手を撃ち殺さずにすむように考える。躊躇してしまうのです。
=====引用おわり
(注)「この戦争の原則」=「殺されそうなら殺してもよい」

 
(3) 「殺さずに済ませたい本能」の抑制1

=====引用はじめ
 1960年代、アメリカがベトナム戦争で、ジャングルでゲリラとの戦いを展開しているときにも兵士たちは人を殺すのを躊躇しました。そこでアメリカ軍は、躊躇を外す「洗脳」を施した兵士をベトナム戦線に投入します。スタンリー・キューブリック監督の映画「フルメタル・ジャケット」で、新兵にメンタルトレーニングを課すシーンを覚えている方も多いでしょう。
=====引用おわり
(映画のポスターを添付)
 

(4) 「殺さずに済ませたい本能」の抑制2

 もうひとつ興味深いことが『俘虜記』には記されている。

=====引用はじめ
 戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約乃至鼓舞される。もしこの時僚友が一人でも隣にいたら、私は私自身の生命の如何に拘わらず、猶予なく射っていたろう。
=====引用おわり
 

(5) 「殺さずに済ませたい本能」の出所1

=====引用はじめ
 私はここに一種の動物的な反応しか見出すことはできない。「他人を殺したくない」という我々の嫌悪は、恐らく「自分が殺されたくない」という願望の倒錯にほかなららない。これは例えば、自分が他人を殺すと想像して感じる嫌悪と、他人が他人を殺すと想像して感じる嫌悪が全く等しいのを見ても明らかである。この際自分が手を下すという因子は必ずしも決定的ではない。
=====引用おわり
 

(6) 「殺さずに済ませたい本能」の出所2

 私は、違う考えを持っている。テキストをから離れて、私の意見を述べる。

 生物には、個体を守ろうとする本能と、種を守ろうとする本能の二種類がある。「殺されそうなら殺そうとする」のは前者の本能で、「殺さずに済ませたい」のは後者の本能である。
 同種の狼が激しく争っても、負けたほうが仰向けになって首をさらすと(=降参の意思表示)、勝った狼は攻撃をやめ、殺すには至らないらしい。
 時に、二種類の本能が葛藤することもある。
 

(7) 「汝、殺すなかれ」という神の声

「殺さずに済ませたい本能」は、人を殺すことを躊躇させる。

=====引用はじめ
 「十戒」にもあるような人類にとっての原始的な掟である「汝、殺すなかれ」を、大岡は究極の殺す、殺されるという状況の中で考え尽くしたのかもしれません。つまり、完全に孤立した人間になったそのとき、はじめて人は「汝、殺すなかれ」という、神からの直接的指令である「声」を実行しなければならなくなるのではないかということです。
=====引用おわり

=====引用はじめ
 ひとりになった瞬間、その狂気に対する批判が芽生えます。あるいは、神が自分を見ている――と感じてしまうのではないか。超越的なものと出会うには、ひとりでなければなりません。上官からでもなく、軍隊でもなく、国家でもなく、もっと上の、まさに「神」からの指令を受けやすい心理状態になるのだと考えれば、よく理解できます。
=====引用おわり
(注)「その狂気」=集団同町圧力が、倫理や良心の発揮を許さない状態
 

(8)  神の声を聞く

=====引用はじめ
 人肉食の誘惑と戦い、花の言葉を聞いて、自分が生きるためにまだ生きている者の命を奪ってもいいのか、という神の存在に近接する意識にまで到達しました。大げさにたとえれば、たったひとりで荒野に立つ男といえば、イエス・キリストのことであり、モーセのことでもあります。彼らも四十日間の断食を行い、その体験の末に、モーセは神から十戒という律法を授かり、キリストは悪魔の誘惑を克服するのです。
=====引用おわり
 

出典:
島田雅彦、大岡昇平『野火』~汝、殺すなかれ、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/8)

2017年8月19日土曜日

(970) 人間を最後に支えるもの / 大岡昇平『野火』(3-1)


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(K0111) 後見人の難しさと易しさ <後見人/システム構築>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k0111.html
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100分で名著』 8月21日() 22:25 22:50 Eテレ 放映
 

 人は死へと追い詰められた時、倫理を放棄するのではなく、倫理感がより鋭敏に作動するものなのだろうか。

 生物は、食べるものが限界以下になると、生き続けられない。人間も同じである。では、限界ぎりぎりまで追い込まれた人間は、どのように行動するのだろうか。

 極限状況に置かれた兵士は、人肉食に踏み込んでしまうのか。

 人間というものは、そう単純なものではない。

 

【今投稿の目次】

(1)  自分の血を吸った山蛭を食べる

(2)  死体の臀部を食べたのは何者か

(3)  生食死肉

(4)  自然の法則の通りには、人間は動かない

(5)  奇妙な自己犠牲の精神

(6)  剣を持った右手を抑える左手

(7)  「生食死肉」よりも許されないこと

 

【各論】

(1)  自分の血を吸った山蛭を食べる

=====引用はじめ
 雨が降り、木の下に寝る私の体の露出した部分は、水に流されてきた山蛭によって蔽われた。その私自身の血を吸った、頭の平たい、草色の可愛い奴を、私は食べた。
=====引用おわり
 

(2)  死体の臀部を食べたのは何者か

=====引用はじめ
 田村は路傍の死体を見やり、その臀部の肉が失われていることに気づきます。そして、それが野生動物の仕業でなく人間の仕業であることを直感する――。その理由が以下です。
 誰が屍体の肉を取ったのであろう――。… 私がその誰であるのかを見抜いたのは、或る日私が、一つのあまり硬直の進んでいない屍体を見て、その肉を食べたいと思ったからである。
=====引用おわり


(3)  生食死肉

=====引用はじめ
 シンプルに「動物」として考えるなら、生きている者が優先であり、先に亡くなった者は生きている者を生き長らえさせるために、食べられて本望という感覚 … 生きる者が食べ、死んだ者が肉となる「生食死肉」です。
=====引用おわり
 

(4)  自然の法則の通りには、人間は動かない

=====引用はじめ
 生きている者が死んだ者の肉を食べること自体が自然界の法則としかいいようがありません。
 ただし人間にとっては、犬や猿のようにただ本能のまま行動する局面など、そう多くはないでしょう。理性や倫理、文化的な知識も抱え込んでいます。
=====引用おわり

 「『生食死肉』を許容する『死にゆく者』」(5)と「『生食死肉』を逡巡する『生きようとする者』」(6)とがある。
 

(5)  奇妙な自己犠牲の精神

=====引用はじめ
 道端に横たわった将校は、ほぼ譫妄状態にあってうわ言をつぶやきながら、田村に向かって、「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」といい、痩せた左手を挙げ、右手でその上膊部(二の腕)を叩いたあと、息絶えていきます。
=====引用おわり

 
(6)  剣を持った右手を抑える左手

=====引用はじめ
 田村は死体から蛭を除き、上膊部の皮膚を二、三寸ほど露出させ、右手で剣を抜きます。
 その時変なことが起こった。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。
=====引用おわり

 
(7)  「生食死肉」よりも許されないこと

=====引用はじめ
 その花が「あたし、食べてもいいわよ」と語りかけてくるのです。田辺は飢えているので、摘もうとする。
 その時再び私の右手と左手が別々に動いた。

 私はこれまで反省なく、草や木や動物を食べていたが、それ等は実は、死んだ人間よりも、食べてはいけなかったのである。生きているからである。
=====引用おわり
 


 人は死へと追い詰められた時、倫理を放棄するのではなく、倫理感がより鋭敏に作動するものなのだろうか。
 

2017年8月18日金曜日

(969) 子ども・若者文化と教育・支援 / 子供・若者の文化と教育(15。最終回)


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(K0110) 医療・介護改革 <システムの構築>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k0110.html
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【目次】

第15章 子ども・若者文化と教育・支援
0. はじめに
1. 現代の子ども・青年の特質
2. 生徒文化、若者文化
3. 安定志向の若者
4. これからのしつけ、教育、若者支援

 

【整理】

三つの切り口で整理する。

 
A)  子どもや若者を「大人にする仕組み(大人に育てる社会環境)」が脆弱になった

B)  現代の子ども・若者の特徴をふまえ、大人はどのようなしつけや教育、そして支援をしていけば、よいであろうか  … 【大人への期待】

C)  子ども・若者自身が、自立への歩みを自分自身で行うことが必要であろう。そのために必要なことは何か  … 【子ども・若者への期待】

 

<各論>

A)  子どもや若者を「大人にする仕組み(大人に育てる社会環境)」が脆弱になった

  これまで、子どもや若者を大人にする仕組みはしっかり根づいていた:「地域の教育力」「親の教育力」「祖父母や叔父叔母の影響」「教育システム(受験社会)」「徒弟的訓練」「技術者養成」「企業内訓練」など

  現代は、子どもや若者を大人に育てる社会環境が脆弱になっている:「地域社会の変貌」「家族の変化」「脱受験社会」「景気の後退」「企業の倒産」「企業内訓練・年功序列制度の崩壊」「格差社会」等
 

B)  現代の子ども・若者の特徴をふまえ、大人はどのようなしつけや教育、そして支援をしていけば、よいであろうか  … 【大人への期待】

  子どもや若者のマナー違反や非道徳行為、そして犯罪行為が、彼らの無知からくることも多い。それに対しては、その法律や規則をきちんと教える必要がある

  子どもや若者と守るべきことを取り決め、それに違反した時の罰則も定め、それを履行する

  人が何かを学ぶ時は、その欲望や動機を含めて、先輩や先人の模倣をし、その人をモデルにして学んでいく。周囲の人は、子ども・若者の成長・発達のモデルになることが必要であろう

  冒険して失敗しても大きなダメージにならない場を用意すること。それによって、子ども・若者はリスクを心配することなく、全力でチャレンジすることができる

  青少年の傷つきやすい心情にも配慮が必要であろう

  安定志向、意欲を抑え気味の青少年の行動を嘆くより、大人や社会の青少年への扱いを見直すことも必要である
 

C)  子ども・若者自身が、自立への歩みを自分自身で行うことが必要であろう。そのために必要なことは何か  … 【子ども・若者への期待】

  自分自身を大切にする。自分の才能や興味を大切にし、自尊感情をもち、失敗を恐れず、向上する努力を怠らない

  自分や甘やかしたり、自己正当化しない。自分に与えられた役割や仕事は、責任をもって果たす。苦難を伴うことにも立ち向かう

  現在を大切にした生き方をする。そして未来を見つめ、目標、計画のある人生を送る

  人とのコミュニケーションや繋がりを大切にする。他人のために働く(ボランティア等)ことにより、人間性は一層豊かになる

  本やメディア、多様な人との出会いの中で、生涯の学習を続けていく。偏見を捨て、広い視野でものごとを考え、判断し、行動する

 
これは、【子ども・若者】への期待である。しかし、私は【定年を過ぎたが元気な高齢者】にも期待する。高齢者には「未来はない」と思っている人もいるだろうが、私は違う。「個の枠にとらわれない私」を自覚するとき、高齢者にも未来が豊かにある。

 

引用
武内清「第15章 子ども・若者文化と教育・支援」
竹内清・岩田弘三編、子供・若者の文化と教育、放送大学教材(2011)

(968) 「わが街」魅力 世界に発信


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(K0109) 催し物情報(7) <催し物紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k01097.html
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===== 引用はじめ
 「ウィキペディアタウン」という街歩きイベントが全国各地で開催されている。ただ街を歩くだけでなく、集めた情報をインターネット上の無料の百科事典「ウィキペディア」を通じて発信できるところが魅力という。キーワードは「世界発信」「異世代交流」「図書館」-。どんな街歩きなのか?(原田純一)
===== 引用おわり
産経新聞(2017/08/08 夕刊)
http://www.sankei.com/life/news/170816/lif1708160012-n1.html

===== 引用はじめ
 ウィキペディアタウンは2012年、英国南部のモンマスでスタート。日本では平成25年に横浜市で開かれたのが最初で、その後、全国に広がった。地域情報を地元の人の手で世界に発信し、地域おこしにつなげることが大きな狙いだが、歩いて説明を聞くだけの街歩きに物足りない人のニーズにも応えた。
===== 引用おわり

 

===== 引用はじめ
 京都オープンデータ実践会は26年から、京都市内を中心に「オープンデータソン」の名で定期的に開催。地元の情報に詳しいお年寄りらに案内を頼んでいる。「パソコンになじんだ若い世代と、高齢者の新しい絆作りという側面もあります」と是住課長。
===== 引用おわり

言葉で説明するより、実例を見るのが早かろう。

  オープンデータソン2017 in 宇治
https://opendatakyoto.connpass.com/event/57676/
  Wikipedia」や「OpenStreetMap」は誰でも自由に利用が出来るオープンデータの仲間です。地域の歴史や文化を学びながら、みんなでオープンデータを作りませんか?
  Wikipediaタウン:地域の史跡や歴史的建造物を歩き、文献資料を元にWikipediaページを作成・更新します。撮影した写真をWikipedia姉妹プロジェクト「Wikimedia Commons」への掲載を行います。

 

===== 引用はじめ
 ウィキペディアタウンには図書館が深くかかわるケースが多い。ウィキペディアの記事は出典を明記するという決まりがあるためで、「地域資料やリファレンスサービスを提供する図書館は、会場としてうってつけ」(是住課長)。
===== 引用おわり

言葉で説明するより、実例を見るのが早かろう。

  とよ散歩~ウィキペディアタウン in 豊中~
http://www.lib.toyonaka.osaka.jp/information/okamachi/archives-hokusetsu/archives_2017_1.html
  地域情報アーカイブ化事業は「みんなでつくる地域の百科事典」づくりをめざし、市民ボランティアの手で豊中・箕面を中心とする北摂地域の写真を収集・整理して、ウェブサイト「北摂アーカイブス」で公開しています。この事業では毎年、地域の魅力をより深く知るとともに北摂アーカイブスについても知ってもらい、活動に協力していただこうと公開勉強会を開催しています。
  ウィキペディアタウンでは岡町・豊中駅周辺を歩き、見てきた場所について資料で調べてインターネットの百科事典ウィキペディアに記事を書いて発信します。マッピングパーティーではOpenStreetMap(以下、OSM)を使って地図を編集します。

 

  ウイキィペディアおよびその利用・編集時のルールについては、以下を参照(下記サイトから参集したものを添付した)
http://www.sankei.com/life/photos/170816/lif1708160012-p1.html