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このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2017年4月26日水曜日

(855) 挫折体験


挫折体験は誰にもあり、これを避けようとすると、何もできなくなる。

挫折体験を通じて、現実的な解決に向かい、更に未来に向かえる人もいる一方、
現実的に解決できず、精神が弱まり、悪循環陥る人もいる。

挫折にどう向き合うかにより、その人の人生が変わっていく。

===== 引用 はじめ

健康人は不満足な結果という事実に対して、より努力するか、要求水準を引き下げるかの現実的な判断をします。

これに対して、神経質では、結果という事実から目を背け、高い要求水準を引き下げることもできず、堂々めぐりの悪循環に陥ります。

健康人のように挫折体験を現実的に解決すれば過去の失敗は「笑い話」になりますが、
神経質では自分の要求水準が高くなりすぎてしまい、独りで劣等感を感じ続けることになります。

===== 引用 おわり

 
森田療法の説明から、引用した。
次のように続く。

 
===== 引用 はじめ

このような「生き方」の問題が神経質の本質であると見抜いたのは森田の慧眼で、同時に「神経質を活かす」ことで健康を取り戻すという解決法まで提示してあることが、森田療法が最強の精神療法とも言われる理由なのだと筆者は考えています。

===== 引用 おわり

 
星野良一、「浜松医大の入院森田療法・外来森田療法」―わかりやすい森田療法に取り組んだ20年―、メンタルニュース No.33(201511) 、(公財)メンタルヘルス岡本記念財団、P.2

2017年4月25日火曜日

(854) まえがき / 仏教と儒教(0)


放送大学

「仏教と儒教 ~ 日本人の心を形成してきたもの ~ 」

を半年かけて学ぶ。

 
 今日、多様な文化を深く理解し、それぞれの優れた点を統合して新しい文化を創造していく能力さえ求められている。その能力を育てていくためには、まず自国の文化の歴史や特質、そこにあるさまざまな人間観・世界観等を理解しておくことこそ重要だろう。

 私たちは自国の文化の伝統を深く尋ねることにより、自己のいのちの基盤が自覚され、またそれらをどのように未来に活かすかの構想も描かれて、より豊かに生きることができるだろう。

 そうした文化の根底にあるものは、思想・理念である。ものの見方・考え方が根本にあって、そこからさまざまな具体的活動も展開されていく。

 日本人のものの見方・考え方として、思想として言葉を伴って展開されたものといえば、仏教と儒教が中心である。仏教も儒教も外来思想だが、日本に受容され追求されていくなかで、日本独特のものが形成され、そこに日本人独特の感性や霊性が反映されている。

 日本文化・思想への理解を深めていきたい。

 
目次

1. 序論 仏教の成立と広がり

2. 仏教の日本への伝来

3. 平安時代の仏教

4. 鎌倉時代の仏教(1)源信・法然

5. 鎌倉時代の仏教(2)親鸞・一遍

6. 鎌倉時代の仏教(3)栄西・道元・日蓮

7. 近世・近代の仏教

8. 仏教と日本文化

9. 中国文化と儒教

10.   日本文化と儒教

11.   日本における儒教の受容

12.   日本儒教の完成(古学の1)

13.   日本儒教の完成(古学の2)

14.   日本社会における儒教の影響

15.   日本の思想 神道・仏教・儒教と近代化

 

引用:
竹村牧男・高島元洋(2013)、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材

(853) 朝の詩_(9) ほめる・(10) 心暖まりて


(A)     ほめる

(B)     心暖まりて

 
===== 引用(A) はじめ

朝の詩

 ほめる

  千葉県柏市
  飯村 雅子 59

 
歳を重ねて

上手になったことは

自分をほめること

 
不器用だけれど

一生懸命

生きている

 
そんな自分を

認められるように

なったこと

 
(選者 新川和江)
===== 引用(A) おわり
産経新聞 (2017/3/26)

 

不器用だけれど
一生懸命
生きている

そういう貴方が
見えるようになってきた


一生懸命になれないと
悩んでいる姿は
不器用だけれど、

そのように
一生懸命生きている

 
誰もが
一人の例外もなく
一生懸命生きている

そう気づいて
一人一人に
敬意を抱くようになった

 
歳を重ねて
少し、
上手になったこと

 

===== 引用(B) はじめ

朝の詩

 心温まりて

  兵庫県西脇市
  山下 智一郎 53

 
両手で

私の手を取り

暖めようと

してくれた人

その手は私より

さらに

冷たかったけれど

 
(選者 新川和江)
===== 引用(B) おわり
産経新聞 (2017/4/3)

 

両手で
あなたの手を取り
暖めようとした

あなたの手の方が暖かかった
 
あなたの手はピクッと動き
握り返してきた

 
そんなことも、あったな

 
両手で
あなたの手を取り
暖めようと思った

でも、
私の方が冷たかろう
 

差し伸べて止まった手を

あなたは、
にっこり笑って
両手で包んだ

2017年4月23日日曜日

(852) 「死」を見つめて生きる(3)人生は旅である / 人生論ノート(4-3)


~ 『100分で名著』 424() 22:25 – 22:50 Eテレ 放映 ~

 
「自分の人生における充実した時期」を振り返ると、それは目標を達成した時というより、目標に向かって努力している時、特に、手応えを感じている時だと思う。そういう意味において、今も充実している。

目標を達成した時はとても嬉しいが、長続きしない。輝いていた目標も、手に入れると輝きを失う。なにか物足りなくなり、次の目標に向かって進みはじめたとき、その物足りなさは薄らぐ。

 

===== 引用 はじめ

若くして亡くなった人について、道半ばで無念であったろうというふうに考えるのは、実は違うのではないかと私は思います。到達点だけでなく、過程を見れば、そこにはその人にとっての喜びや充実した時間があったはずです。いつ、どこで人生を終えたとしても、生きた瞬間、瞬間が完成しているのです。

===== 引用 おわり

「人生は旅である」「たとえ目的地に辿り着けなかったとしても、旅の途中を味わっていれば、得るものは様々あります」という。上記の引用と符合する。

 

三木は「旅について」いろいろ語っている。

 
『出発点が旅であるのではない、到達点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である』

『旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである』

『真に旅を味い得る人は真に自由な人である。 … 人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである』

 
自由な人生の旅を楽しみたいものである。

 

一言、書き加える。

「若くして亡くなった人について、道半ばで無念であったろうというふうに考えるのは、実は違う」と先に引用した。最初はそうだったと思ったが、美しい話ではあるが、実際は違うのではないかと思った。無念に決まっている。無念でなければ、必死に生きていなかっただけだ。

必死に生きていて、一つよいことがあるだろう。それは、
避けられない運命に遭遇した時、時間はかかるだろうが、
最終的には、その運命を受け容れることができることである。

受け容れることはできても、無念はやはり、無念であろう。

 

===== テキストの結び はじめ

… 『人生論ノート』を読んだからといって、本書で取り上げられている問題に直ちに答えられるわけではありません。しかし、どう考えていけば充実して豊かな人生を歩めるかという指針は見つかるでしょう。…

===== テキスト結び おわり


岸見一郎(2017/4)、三木清『人生論ノート』、100de名著、NHKテキスト
写真:三木の故郷、竜野


5月は、陳寿『三国志』 ~ 英雄たちの“真の姿”とは ~
テキストは、4月25日発売予定


(851)「死」を見つめて生きる(2)生きる力・死ぬ力 / 人生論ノート(4-2)


「執着してはいけない」と普通は言われそうだが、
三木は執着を肯定的にとらえ、
執着は生きる力になるし、死ぬ力にもなるとしている。

 
執着するものがあれば死ぬに死ねないという。ならば、それは生きる力になるはずである。例えば、「我が子の行く末を見届けずに死んでしまうのは何とも寂しい」と思うと、なんとか生き続けようとするだろう。

一方、『死後自分の帰ってゆくべきところ』があると思えば、その思いは死ぬ力にもなるであろう。帰ってゆくべきところはとは、思いを残した人のところである。この話は、次の一つ目に繋がる。

 

テキストには様々なことが書いてあるが、私が要約すると、「死んでも生き続けると思える」ことが「死ぬ力」になる。それは、3つある。
 

第一に、生き残った愛する人の中に生き続ける。亡くなった人のことをありありと思い出しているいるとき、まるでその人が今ここにいるかのように感じることがある。娘・洋子が思い出してくれた時、三木も戻ってこれるかもしれない。

第二に、自分が死ねば、愛する死んだ人と会えるかもしれない。三木も妻・美恵子と会えるかもしれない。『自分の親しかった者と死別することが次第に多くなった…。もし私が彼等と再会することができる ―― これは私の最大の希望である ―― とすれば、それは私の死においてのほか不可能だろう』

第三に、作品や業績の中に生き続ける。『その人の作ったものが蘇りまた生きながらえるとすれば、その人自身が蘇りまた生きながらえる力をそれ以上にもっていないということが考えられ得るであろうか』

 
結果は、どうだったか

第一 → 三木は多分、娘・洋子の中で生き続けただろうが、確認はしていない
第二 → 三木が死後、妻・美恵子と会えたかどうかは、定かでない
第三 → 三木の作品・思想は生き続け、三木も生き続けている

 

私も、似たことを考えている(似てはいるが違う)。

死の恐怖の本質は、自分が死によって無くなってしまう恐怖であろう。自分が永遠なるものと一体化したとき、死の恐怖から逃れることができる。永遠なるものは、神であっても、自然であっても、人類であっても、作品や業績であってもよい。「その人にとっての永遠なるもの」であればよい。

「私にとっての永遠なるもの」は、子どもたちであり、深く関わった人たちである。私が生きていなかったら、私がいなかったら、それらの人達は、良きにつけ悪きにつけ違ったものであっただろう。望んでも望まなくても、私は「否応なく」生き続けるだろう。

 
だから、そのようなことを(死について)思い悩んでも意味がない。
私にできることは、よく生きること。これ以外はない。

 
引用:
岸見一郎(2017/4)、三木清『人生論ノート』、100de名著、NHKテキスト
写真:西田幾多郎と三木清との写真。西田幾多郎から三木清への葉書。


2017年4月22日土曜日

(850) 「死」を見つめて生きる(1)死は生から類推できない / 人生論ノート(4-1)


「老人ホームは死を間近にした人たちがいるところなので、死に関する話はタブーだと思われているようだが、必ずしもそうではない」と読んだことがある。

「『今日もお迎えは来なかった』と日常会話で淡々と死が語られる。タブーにはなっていない。もちろん、死を恐れ、聞きたくない・考えたくもない人もいる。一般的に言うと60代に多く、その後は年をとるにつれて、死を恐れる気持ちは弱まる」という趣旨だったと記憶している。

===== 引用はじめ
… 年齢のせいか近頃は『死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった』…『以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが』…
===== 引用おわり

三木清も、普通の人と同じところもあるのだと、ちょっと安心した。

 

『コンヴァレサンス(病気の快復)としてしか健康を感じることができない』
『生に対して絶対的な「他者」である死こそ、それに於いて我々が生を全体的に眺め得る唯一の立場である』

私の言葉に書き直すと

「健康である間は、健康とは何かがわからない」
「死を考えてこそ、生とは何かがわかってくる」

死を考えることは、生を考えることに他ならない。
私は、生きていきたい。
ここで言う「生きる」「死ぬ」は、生物学上・医学上の「生死」ではない。

 
ところで『絶対的な「他者」』という言葉で、何を表そうとしているのか。

 ===== 引用はじめ
私たちは死を、生からの類推で考えてしまいがちです。一日が終わると眠りにつくように、人生の終わりには「永遠の眠りにつく」という言い方をしたり、現世と同じように「来世での暮らし」を思い描いたりしてみたり。しかし三木は、死は生に対して「絶対的な他者」であり、生のイメージからは得られない別次元のものだと言います。 … 生の延長上にイメージされる死は、死そのものではないのです。
===== 引用おわり

 

パスカルは、死の不安と直面することから目を背けることを「慰戯」と呼んだ。慰戯とは気休め、気晴らし、憂さ晴らしという意味である。

しかし三木は、死から目を背けるだけでなく、死を意識することも慰戯になり得ると考えていた。いつも死のことばかり考えていると、生きることが疎かになってしまう。

過剰に恐れて背を向けるのでも、心を囚われてしまうのでもなく、「死の平和」を感じることで初めて人間はよく生きることができると三木は語っている。

妻・喜美子さんの死に際し、『どんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来る』ことを目の当たりにし、『愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに従って、死の恐怖は反対に薄らいでゆくように思われる』と三木は書いている。
 
 
 
引用:
岸見一郎(2017/4)、三木清『人生論ノート』、100de名著、NHKテキスト
写真:喜美子夫人は1936(昭和11)86日に逝去。このとき一人娘の洋子は、まだ五歳だった。

2017年4月21日金曜日

(849) 怒り、愛、勇気


前回紹介した稲垣 謙二さんの投稿を再録する。

===== 投稿 引用はじめ

今朝電車内で、私の前の席に座っている2人が喧嘩を始めた。

女性の荷物が邪魔であることを隣の男性が注意したことが発端のようである。女性の方が逆切れして、感情的になっている。どうも男性から「おばさん」と呼ばれたことが気に食わないらしい。

結局、おば…、いや女性の勢いに負けて、「日本語の使い方には気を付けろ」と説教された上で男性が逆に謝るという羽目に合っていた。座席の隙間から見ると、明らかに女性はマナー違反をしているのに…。

===== 引用おわり

 
これに対して、次のお二人のコメントをセットにすると、
完璧なコメントになると思った。

 
===== コメント(A) 引用はじめ

荒木 裕子さん:  私が人様にちょっと言いにくいことをご指摘する時は、常に「そこ(私が発するその人への言葉)に愛はあるのかい?」と振り返るようにしています。

言われて嬉しいことではない以上、懐に入る言葉でないといけない気がする。おばさんという言葉を選んだ時点で、仮にオバサンが悪いとしても、傲慢な指摘な気がします。

===== 引用おわり

 
===== コメント(B) 引用はじめ

Sachiyo Kobayashiさん: 10月に帰国して以降、車内で怒鳴り声を聞くことが数回ありました。以前はこんなことあったかなぁ〜と思いながら。

イライラしてる人、心の中に怒りを溜めて暮らしている人が増えたような気がします。残念ですけど。

===== 引用おわり

 

小学生の時に、不思議だなと思ったことがあった。

 
とても厳しく私達をよく叱ったA先生と、
いつも優しく声掛けしてくれた優しいB先生がいた。
  
私はB先生が好きだったが、A先生をもっと好きだった。
友達も同じみたいで、不思議だった。何故だろうと考えた。

その時に私が到達した答えは、「A先生に愛がある」だった。

 
文字にして印刷すると同じ言葉であっても、
愛から出た言葉か、怒りから出た言葉か、子どもでも、よくわかる。

 

怒りにかられて出した言葉は、相手に届かない。
怒りがおさまるのを待ってから発言するのがよい。

 
愛には三段階ある。私への愛、あなたへの愛、第三者への愛。
愛の質が上がって来た時点での発言は、相手に届く可能性が高い。

「甘い」と言われるかも知れないが、私はそう信じている。

 

もう一つ書く。

(847)で、踏切内に人がとどまっている人を見つけた時に、
非常停止ボタンを押す勇気について述べた。

この勇気は、どのようにすれば出てくるのか。

 
私への愛 → あなたへの愛 → 第三者への愛
と愛が浄化した時、勇気が出てくると思う。

 

日頃より愛の質が高まっていたら、
勇気をもって「正しい行い」ができるようになり、
相手に届く言葉を発することができるようになる。

ここでいう「正しい行い」とは、「人間として正しい行い」である。

 
 
(842)で触れた自問に対する答えも、ここにある。

===== 再録はじめ

煙草を吸っている高校生がいて、本当に私は「吸ってはいけない」と言えるか。
シルバーシートで年寄りを立たせて平気で座っている若者に「席を譲れ」と言えるか。

===== 再録おわり