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2017年6月24日土曜日

(914) 行為の意味


(914) 行為の意味
 

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(K0056) 介護と終末ケア / 『老いには夢を』(4) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/06/k00564.html

新現役ネット・関西ブログ 「読書サロン便り6月号(その2)」
http://kansaiblog.shingeneki.com/e641356.html
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===== 引用はじめ

行為の意味

――― あなたの<こころ>はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない

自分にも他人にも<こころ>は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか

確かに<こころ>はだれにも見えない
けれど<こころづかい>は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の<思い>は見えない
けれど<思いやり>は誰にでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
<心>も<思い>も 初めて美しく生きる
―――― それは 人が人として生きることだ

===== おわり
宮澤章二、「行為の意味」、ごま書房、20107
http://acore-omiya.net/?eid=259
 

どこかで聞いたことがあるなと思っていたら、
東日本大震災後、ACジャパンの意見広告として流されていたものだ
https://www.ad-c.or.jp/

 

見えない<こころ><思い>ではなく、
見える<こころづかい><思いやり>が大切。
だから「行為にしなさい」
… というのが、普通の受け止め方かなと思うが、
私は、違う受け止め方をした。

 
「行為にする」ではなく
「(おのずから)行為になる」ではないか。

せねばならぬとして行為する
… それは道徳だと思う
せざるを得なく行為する
… これがボランティアだと思う。
 

二つの力が働く
  肯定的な推進力である「ここが動かされた」
  否定的な抑止力

 
「行為にならない」のは、抑止力が推進力より強い時だろう。

「困っている人を助けるのは当たり前」の世界では、抑止力が小さくなっていると思う。

現在の日本では、なぜか抑止力が大きくなっているように思える。
 
 

2017年6月23日金曜日

(913) 仏教と日本文化 / 仏教と儒教(8)


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(K0055) 成年後見制度と相談 / 『老いには夢を』(3) <自助・共助・公助>
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 仏教が日本文化の形成に果たした役割の大きさは、日本語の語彙に仏教由来のものが多いことなどからも見てとれる。
 今回は、茶の湯などの芸道、歌や物語、随筆などの文学における「無常感」を検討し、
 さらに、茶道、華道、武道をはじめとするもろもろの「道」の思想と仏教思想の結びつきを考える。
 そして、最後に、日本仏教の大きな特徴といわれる仏教と葬祭との結びつきはいったい何を意味するものかということを検討する。
 

【構成】 第8章 仏教と日本文化

 伝統文化と仏教
1-1 茶の湯
1-2 千利休の「わび茶」
1-3 禅と日本文化

 「無常」の文学
2-1 いろは歌と「無常」
2-2 和歌と「無常」
2-3 源氏物語と無常
2-4 「無常」と「美」

 仏教と「道」の思想
3-1 修行と「悟り」
3-2 ヘリゲルの弓道修行

 葬祭と仏教
4-1 先祖供養と仏教
4-2 荒ぶる魂の救済としての仏教儀礼

 

<各論> 第8章 仏教と日本文化

 伝統文化と仏教

 日本の伝統文化の形成に当たって、仏教の果たした役割は多大なものである。そのことは日本語の語彙の中に、多くの仏教用語が取り入れられていることからもうかがえる。
 また、食材や食事の作法からはじまって、葬送や法事、お盆やお彼岸、花まつりの行事、また、文学、美術、音楽、建築、そして、茶の湯、生け花、能などの芸道、武士道に至るまで、いわゆる日本の伝統文化と仏教との関わりは深い。


1-1 茶の湯

 室町時代には、喫茶の作法の中に精神性や思想性が盛り込まれ、自己の精神修養と、他者との「一期一会」の出会いや精神的交流を求めるようになった。
村田珠光が「わび茶」の創始者と呼ばれ、その系譜を引く千利休によって、茶禅一味の「わび茶」が完成した。


1-2 千利休の「わび茶」

「わび茶」の「わび」は、もともとは、さびしいとか心細いなどの消極的な意味しか持たなかったが、中世になり禅に基づく美意識が発達するにつれて、飾りやおごりを捨てた、欲望にとらわれない、静かで落ち着いた枯淡な味わいという積極的な意味を持つようになった。

 
1-3 禅と日本文化

禅の精神の影響を受けた日本の伝統文化としては、禅の「悟り」の境地を象徴的に表現した石庭(枯山水)、禅の修行体験を踏まえて世阿弥が大成した能楽、雪舟等楊によって大成された水墨画などがある。
 武士道も禅の思想の大きな影響を受けている。禅の精神は、生死を超えて戦わなければならない武士たちの心の糧となりえた。

 

 「無常」の文学

2-1 いろは歌と「無常」

 「いろは歌」は、「諸行無常 是生滅法 消滅滅已 寂滅為楽」(もろもろの作られたものは無常である。生じては滅びる性質のものであり、生じては滅びていく。それらの静まることが大いなる安楽である)という偈を翻訳したものである。
 多くの日本人の場合には、無常観がむしろ無常感とでもいうべきものとして、美的感性で受け止められた点に特徴がある。四季の変化を敏感に受け止め、うつろいゆくもののなかに自己の運命を読み取る感性としてとらえられた。

 
2-2 和歌と「無常」

二十一代集の底流にも無常感がある
  花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に
  ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
  見わたせば 花も紅葉も なかりれり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

 
2-3 源氏物語と無常

『源氏物語』のなかにも、無常感は、通奏低音として鳴り響き続ける。出家することを望みながら許されない紫の上、紫の上亡き後の光源氏、川に身を投げてしまう浮舟。

 
2-4 「無常」と「美」

「無常」の文学として、『平家物語』『方丈記』『徒然草』などがある。
 自己と世の無常を鋭く見つめる人こそが、同じく無常を生きるすべてのものへの共感を持ち得るのであり、それ故に、無常を自覚する人こそが、深い心を持った好ましい人物だと兼好は言う。

 

 仏教と「道」の思想

3-1 修行と「悟り」

 修行の一瞬、一瞬こそが実は、「悟り」の瞬間であり、修行において「悟り」が現される。仏道修行の構図は、日本文化における「道の思想」として花開く。稽古を続ける中で自己の心を磨き、人としての道や徳を体得することが目指されるのである。

 
3-2 ヘリゲルの弓道修行

 阿波研造に入門して弓道の修行をしていたヘリゲルが、「無心」の射ができるようになった。的に矢が当たるかどうかが問題なのではなく、無心の射が実現出来るかが問題なのであり、それが実現出来れば、矢は自然に的に当たる。「無心」は仏教の「無我」「無執着」に通じる。

 

 葬祭と仏教

4-1 先祖供養と仏教

 仏教の発祥の地であるインドまでさかのぼってみると、僧侶が祭儀に携わっていたという形跡は見当たらない。しかし日本では仏教が葬祭という形で死という問題を引き受けた。

 
4-2 荒ぶる魂の救済としての仏教儀礼

 そもそも、日本人は、死者を祀らなければ祟りをなす恐ろしい存在と考えていた。・・・しかし、子孫たちがその霊魂を定期的に供養することによって、・・・霊魂として個体性を失って「祖霊」となる。

 

引用
頼住美津子、「第8章 仏教と日本文化」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)
写真8-1 茶室待庵のにじり口
写真8-2 弓道修行


2017年6月22日木曜日

(912) 縁起の実践・空の実践 / 『維摩経』(4)


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(K0054)  個人Blog 6月中旬リスト <サイト紹介>
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   『100分で名著』 6月26() 22:25 22:50 Eテレ 放映
 

【本テキストの構成】 第4回 あらゆる枠組みを超えよ!

1 どうすれば不二の法門にたどり着けるのか     … 第9章

2 二項対立構造のワナ

3 維摩の一黙、雷の如し

4 明かされる維摩の正体     … 第10章、第11章、第12章、第13

5 喜びに包まれたフィナーレ     … 第14

6 現代人が『維摩経』を読む意味

7 本当の自立とは何か

 

【『維摩経』の構成】

第9章 「入不二法門品」(にゅうふにほうもんぼん)
 クライマックスシーン。どうすれば「不二の法門」にたどり着けるか

10章 「香積仏品」(こうしゃくぶつぼん)
 最高の香りに満ちた仏の国「衆香国」の菩薩たちが維摩のもとを訪ねて来る

11章 「菩薩行品」(ぼさつぎょうぼん)
 文殊菩薩一行が維摩や衆香国の菩薩たちを引き連れて釈迦のところに戻った

12章 「見阿閦品」(けんあしゅくぶつぼん)
 釈迦の口から、維摩の正体が明かされる

13章 「法供養品」(ほうくようぼん)
 さまざまな供養の中で「法の供養」が最もすばらしいものであることが釈迦によって説かれる

14章 「嘱累品」(ぞくるいぼん)
 「嘱累」とは、釈迦が教えを人に託すことを意味する。

 

最期に、『維摩経』に示された教えの重要なポイントを箇条書きで示す。

===== 引用はじめ

u  すべてのものは要素の集合体に過ぎず、絶えず変化しながら関係性の中で成り立っている。それが存在や現象の本性であることを覚知することで、存在や現象にしがみつかないように、執着や固着しないようにする道を歩んでいく。この立場に立てば、すべての活動は「空の実践」になる。

u  なにごとにもよらずに単独で成立しているものはこの世には存在しない。すべてのものは関係性の中で成立している。だから、他者への慈悲の心と活動は、自分の悟りへの道である。すべての人々がそのような道を歩めば、仏教が考える理想の国(仏国土)となる。

u  「世俗・悟り」「善・悪」といった二項対立の考え方につまずいてしまうと、怒りや憎悪や差別や排除が生じる。自分の都合というフィルターや枠組みを通さずに認識すれば、平等な世界が見えてくる。

u  世俗を嫌悪して聖なる世界を希求しても、どこまでいっても世俗なのである。だから、むしろこの世俗のど真ん中を生きる道を歩む。とらわれたりかたよったりすることなく、世俗の中を生きる。それが究極の仏教である。

===== 引用おわり

 

出典:
釈徹宗、『維摩経』~とらわれない、こだわらない~、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/6)
図:「不二の法門」に入るには?

(911) 「出たとこ勝負」


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(K0053) 高齢者施設を訪問して / 『老いには夢を』(2) <個人の発達>
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「出たとこ勝負」
 

よく考えてから行動すべき場面と
そうでない場面がある。

ここは「出たとこ勝負」
だと思った。

 
考えると、こだわりができ、
柔軟に対応できなくなる。

不安を募らせると、
不安が本当になってしまう。

先を読んでも
読み間違えることもある。

 
今できることは、
今、全力を尽くすこと。

考える時間があるなら
その時間を使って
一歩でも前進しよう。

 
挑戦する機会なく、
何もできないことがある。

今、挑戦する機会を
いただいた。


過去に色々あった。
でも、

誰にとっても、
大切なのは過去でなく現在。
 

現在いただいたチャンスに
全力で取り組もう。

取り組んだチャンスから
未来は拓かれる。

過去を見るのでなく、
未来を見よう。


でも、
あるのは現在だけ。

現在を生きよう。

2017年6月21日水曜日

(910) 「明日を信じて」


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(K0052) 老いには夢がある / 『老いには夢を』(1) <個人の発達>
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「明日を信じて」


明日を信じて
生きよう

信じた明日が
来ないこともある


それでも

明日を信じて
生きよう


二つのことが
言える

明日を信じて
生きる
それ以上のことは
できないということ

信じない明日は
来ないということ

 

写真(本文とは関係なし):

遠浅になった 須磨海岸
  須磨海岸遠浅化 概念図(神戸新聞NEXT)
「須磨海岸より遠浅に 神戸市が整備事業再開」
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201601/0008696799.shtml

海の家を作っている 須磨海岸
  須磨駅より撮影。今年埋め立てて遠浅になった
  須磨海浜水族園近くより撮影。こちらはずいぶん前に埋め立てた

 
 

2017年6月19日月曜日

(909) スポーツ・ドキュメント 3件


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(K0051) はじめに / 『老いには夢を』(0) <個人の発達>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/06/k00510.html
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昨日(6/18)は珍しく、テレビ番組をたくさん見た。番組表で見つけたのではなく、テレビをつけてチャンネルを変えていて気になったので見た。いずれもスポーツ・ドキュメントだった。

(1)  目撃!にっぽん「走る~知的障害・陸上短距離 川上春菜さん~」

(2)  世界はTokyoをめざす「憧れて 夢をつかめ~至学館レスリング部~」

(3)  奇跡のレッスン「“仲間”のために走ろう! 女子サッカー」(後編)

振り返ってみると、全て女子だった。女子が輝いていた。

 

<各論>

(1)  目撃!にっぽん「走る~知的障害・陸上短距離 川上春菜さん~」
  知的障害のある子がリレー選手として銀メダルをとった
  https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4359/1077271/index.html
  (済み)2017618日(日) 午前615(35)
  再放送 NHK総合 2017620() 午前335(35)


 特別支援学校の先生が才能を見出し、知的障害の子に陸上競技を勧めた。コミュニケーションができず、指導もできなかったが、「うさぎ」(兎飛び)、「ウルトラ」(ダッシュ)、「超ウルトラ」という通じる単語を見つけ、練習できるようになった。さらにリレーに挑戦することにしたが、バトンの受け渡しがむずかしかった。それも克服した。

 監督の努力、本人の努力が素晴らしいことは言うまでもないが、リレーの他の選手が素晴らしいと思った。ここには番組の焦点は当たっていなかったが。

 
(2)  世界はTokyoをめざす「憧れて 夢をつかめ~至学館レスリング部~」
  高校生3人が金メダリストに混じって練習する
  https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3943/2756020/index.html
  見たのは再放送だったよう

 同じウエイトでは、世界選手権でも、オリンピックでも、一人しか代表して出られない。同じウエイトの高校生を、金メダリストが余すことなく指導している。今は力の差が歴然としているが、やがてライバルになる。それでも、どんどん教えている。

 金メダリストも、昔はそのように育ててもらったのだろうか。レスリングは個人競技だが、集団で強くなろうとしていた。

 
(3)  奇跡のレッスン「“仲間”のために走ろう! 女子サッカー」(後編)
  世界の一流指導者が、日本の子どもたちに一週間の特別指導する
  http://www4.nhk.or.jp/wonderlesson/5/
  見たのは再放送だったよう


 今まで一度も勝ったことのない公立中学の女子サッカー部を一流コーチが指導して、一週間後には強豪チームと互角に渡り合った。

 ディフェンスで「だんごにならない」ための具体的な指導は興味深かった。一人一人を見て一人一人に適切な声をかけているのが印象的だった。そして、指導でこんなにも変わるのだと驚いた。
 

2017年6月18日日曜日

(908) 「蓮と鶏」(金子みすゞ) / 『維摩経』(3-2)


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(K0050) 高齢者の自殺 / 高齢期の死生観(6) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/06/k00505.html
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   『100分で名著』 6月19() 22:25 22:50 Eテレ 放映


熱心な仏教徒の家に生まれ育った金子みすゞは、仏教的感性溢れる詩をたくさん残した。

===== 引用はじめ

「蓮と鶏」

泥のなかから
蓮が咲く。

それをするのは
蓮じゃない。

卵の中から
鶏が出る。

それをするのは
鶏じゃない。

それに私は
気がついた。

それも私の
せいじゃない。

===== 引用おわり

 
「泥の中にありながら、泥に染まらず美しい花をさかせた」蓮ではない。
美しい花を咲かせたのは泥だ。「泥があるからこそ蓮は咲く」

「それに気がついた」私ではあるが、
そのことに「気づかせてくれた存在」がある。
 

まるで、
聖なる世界と俗なる世界を融合させて語る大乗仏教において、

相反する項目を融合させてしまう「空」について、
すべては連続性、関係性の中に存在する「縁起」について、
語ってるようである。

 
「すでに悟りを得た人は、それ以上悟りを求めることはしません。その人は、煩悩の泥の中へまみれることが仏道の実践になるのです。空中に種があっても芽は出ませんが、泥土の中にあれば芽をふくのと同じです。大海の底に潜らなければ海の底の宝が手に入らぬように、煩悩の中を生き抜かなければ智慧を獲得して実践することはできません」。文殊菩薩はこれを、「仏陀となる素質」だと言う。

 
出典:
釈徹宗、『維摩経』~とらわれない、こだわらない~、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/6)