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2018年5月19日土曜日

(1241) 「かなしみ」が導く光(死別について) / 神谷美恵子『生きがいについて』(3-1) / 100分de名著

 
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(K0382)  将来の認知症に備える(6)民事信託 <高齢期の家族経済>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0382-6.html
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 死別と「生きがい」という問題。


 大切な人と共に生きていることは「生きがい」なのだがそのときに気づかず、その人を喪ったとき「生きがい」がなくなったと感じる。
 
===== 引用はじめ
 大切な人と共に生きている。これはそれだけで十分に「生きがい」になる経験です。しかし、人はその意味をなかなか感じ切れていない。ですが、その人物を喪ったとき、私たちは「生きがい」という光が、自分のなかで消えたのではないかと思うほど、過酷な日々を送ることになる。

 「生きがい」は、大地のように私たちを支えるものですが、愛する人の死は、それが根底から揺るがされる経験になる。また、「重い空がその中[引用者注:大地]にめりこんだ」という表現も、それを目の当たりにした者のみが書き得る言葉です。
===== 引用おわり
 

 亡くなった人は、その一方、その存在は消えていないとも感じられる。
 
===== 引用はじめ
 しかし、大切な人を喪ったことのある人は同時に、その姿は目の前から消えてしまったけれども、その存在は消えていないという、何とも表現し難い感情を経験するのではないでしょうか。

 肉体はすでにここにはない。だが、亡き人は、「生きている死者」となって、今もどこかにいるように感じられる。それは妄想というには、あまりに確かな実感だというのです。
===== 引用おわり
 

 愛する人を喪った「かなしみ」はまた、「生きがい」へ導く光へとその姿を変じる。
 
===== 引用はじめ
 … 今にも姿がつかまえられそうな、声が聞きききとれそうな、そのぎりぎりのところまで行って空しく戻ってくるくやしさ。そのかなしみはひとの心をさまざまな迷路に追いやって来た。

 「かなしみ」は、確かに私たちを迷路に引きずり込むように感じられることがあります。しかし、この本では「かなしみ」もまた、私たちを「生きがい」へと導く光へとその姿を変じていきます。愛する者を喪った人の、その後の人生を導くのも、「かなしみ」の光なのです。
===== 引用おわり
 

 初恋の相手、野村一彦は結核のため、若くして亡くなった。「迷路」をさまよった美恵子は、生涯独身でいようと感じていた時期が長くあった。死別から12年後、生物学者の神谷宣郎と結婚した。ガンであることが分かり、長島愛生園に通うことを決意したとき、それを強く後押ししたのが宣郎だった。
 
 神谷美恵子が頭で考えてこの本を書いたのではない。彼女は自分の人生を歩んだ。その彼女の物語でもある。
 

<出典>
若松英輔(2018/5)、神谷美恵子『生きがいについて』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)


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