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2018年3月11日日曜日

(1171)  (8) 柳田国男『遠野物語』 / 「明治の50冊」

 
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(K0312)  死者は、生者の記憶のなかにしか生きられない <死後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/03/k0312.html
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 本日は311日。東日本大震災の発生から7年を迎えた。
 『遠野物語』もかの東北地方の物語であり、津波の話も出てくる。
 
(1) 柳田国男『遠野物語』とは
(2) 復興の話として読む第99話
(3) 山の暮らしを捨ててしまった平地人へ
(4) 生活の根底にある『遠野物語』
 

【各論】
 
(1) 柳田国男『遠野物語』とは

===== 引用はじめ
 柳田国男が『遠野物語』を上梓(じょうし)したのは明治43年6月。わずか350部の刊行だった。その前年、遠野郷の土淵(つちぶち)村(現・遠野市土淵)出身で、文学を志していた佐々木喜善(きぜん)の訪問を受けた柳田は、佐々木から興味深い話を聞く。山の神、家の神、河童(かっぱ)に狼(おおかみ)など、土地に伝わる伝説が日常生活に根づいていた逸話の数々で、これを119の物語にまとめて文語体で書き上げた。
===== 引用おわり
 

(2) 復興の話として読む第99話

===== 引用はじめ
 第99話は、土淵村から沿岸部の田ノ浜(現・山田町船越田の浜)に婿に行った男の話で、29年の明治三陸地震による大津波で行方不明になった妻が、元恋人と一緒に海岸を歩いているのに出くわしたというものだ。同じような幽霊譚(たん)は7年前の東日本大震災の後にも数多く聞かれ、改めて『遠野物語』がクローズアップされた。

 「99話は、むしろ復興の話として読まれるべきだと思う」と話すのは、『遠野物語の誕生』などの著書がある東京学芸大教授の石井正己さんだ。
 石井さんによると、このエピソードはただ幽霊に会ったという単純なものではなく、遺体がないままに死を受け入れるというのは難しい問題だということを示唆している。心の復興にはきちんと死を受け止めなくてはならないということが書かれていて、それは今回の東日本大震災にも通じるのではないかという。
===== 引用おわり
 

(3) 山の暮らしを捨ててしまった平地人へ

===== 引用はじめ
 一方で、同書が出版された明治末期は近代化、西洋化が進み、土着的な暮らしや風習が急速に失われつつあった。柳田は前文に「願はくは之(これ)を語りて平地人を戦慄(せんりつ)せしめよ」と記しており、山の暮らしを忘れてしまった平地人=東京人に向けてこの本を編んだことは間違いない。
===== 引用おわり
 

(4) 生活の根底にある『遠野物語』

===== 引用はじめ
 語り部の会事務局を務める工藤さのみさんは言う。「母や祖父から伝わる口頭伝承が中心ですが、悪い行いは自分に返ってくるという教訓も多い。今も生活の根底にあると感じます」
===== 引用おわり
 

【プロフィル】柳田国男(やなぎた・くにお)
 明治8(1875)年、兵庫県田原村(現・福崎町)生まれ。33年に東京帝国大を卒業後、農商務省入省。42年、宮崎県椎葉村(しいばそん)における狩猟伝承をまとめた『後狩詞記(のちのかりことばのき)』を刊行。翌年、道祖神など各種石神についての考察『石神問答』と『遠野物語』を出版するなど、日本民俗学の礎を築く。昭和24年、日本民俗学会初代会長に就任。26年、文化勲章受章。37年、87歳で死去。
 

引用
柳田国男 遠野物語
日本人の死生観「心の復興」 (産経新聞 2018/03/08
 
(8)柳田国男「遠野物語」 日本人の死生観「心の復興」
http://www.sankei.com/life/news/180305/lif1803050009-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)



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