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2017年6月23日金曜日

(913) 仏教と日本文化 / 仏教と儒教(8)


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 仏教が日本文化の形成に果たした役割の大きさは、日本語の語彙に仏教由来のものが多いことなどからも見てとれる。
 今回は、茶の湯などの芸道、歌や物語、随筆などの文学における「無常感」を検討し、
 さらに、茶道、華道、武道をはじめとするもろもろの「道」の思想と仏教思想の結びつきを考える。
 そして、最後に、日本仏教の大きな特徴といわれる仏教と葬祭との結びつきはいったい何を意味するものかということを検討する。
 

【構成】 第8章 仏教と日本文化

 伝統文化と仏教
1-1 茶の湯
1-2 千利休の「わび茶」
1-3 禅と日本文化

 「無常」の文学
2-1 いろは歌と「無常」
2-2 和歌と「無常」
2-3 源氏物語と無常
2-4 「無常」と「美」

 仏教と「道」の思想
3-1 修行と「悟り」
3-2 ヘリゲルの弓道修行

 葬祭と仏教
4-1 先祖供養と仏教
4-2 荒ぶる魂の救済としての仏教儀礼

 

<各論> 第8章 仏教と日本文化

 伝統文化と仏教

 日本の伝統文化の形成に当たって、仏教の果たした役割は多大なものである。そのことは日本語の語彙の中に、多くの仏教用語が取り入れられていることからもうかがえる。
 また、食材や食事の作法からはじまって、葬送や法事、お盆やお彼岸、花まつりの行事、また、文学、美術、音楽、建築、そして、茶の湯、生け花、能などの芸道、武士道に至るまで、いわゆる日本の伝統文化と仏教との関わりは深い。


1-1 茶の湯

 室町時代には、喫茶の作法の中に精神性や思想性が盛り込まれ、自己の精神修養と、他者との「一期一会」の出会いや精神的交流を求めるようになった。
村田珠光が「わび茶」の創始者と呼ばれ、その系譜を引く千利休によって、茶禅一味の「わび茶」が完成した。


1-2 千利休の「わび茶」

「わび茶」の「わび」は、もともとは、さびしいとか心細いなどの消極的な意味しか持たなかったが、中世になり禅に基づく美意識が発達するにつれて、飾りやおごりを捨てた、欲望にとらわれない、静かで落ち着いた枯淡な味わいという積極的な意味を持つようになった。

 
1-3 禅と日本文化

禅の精神の影響を受けた日本の伝統文化としては、禅の「悟り」の境地を象徴的に表現した石庭(枯山水)、禅の修行体験を踏まえて世阿弥が大成した能楽、雪舟等楊によって大成された水墨画などがある。
 武士道も禅の思想の大きな影響を受けている。禅の精神は、生死を超えて戦わなければならない武士たちの心の糧となりえた。

 

 「無常」の文学

2-1 いろは歌と「無常」

 「いろは歌」は、「諸行無常 是生滅法 消滅滅已 寂滅為楽」(もろもろの作られたものは無常である。生じては滅びる性質のものであり、生じては滅びていく。それらの静まることが大いなる安楽である)という偈を翻訳したものである。
 多くの日本人の場合には、無常観がむしろ無常感とでもいうべきものとして、美的感性で受け止められた点に特徴がある。四季の変化を敏感に受け止め、うつろいゆくもののなかに自己の運命を読み取る感性としてとらえられた。

 
2-2 和歌と「無常」

二十一代集の底流にも無常感がある
  花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に
  ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
  見わたせば 花も紅葉も なかりれり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

 
2-3 源氏物語と無常

『源氏物語』のなかにも、無常感は、通奏低音として鳴り響き続ける。出家することを望みながら許されない紫の上、紫の上亡き後の光源氏、川に身を投げてしまう浮舟。

 
2-4 「無常」と「美」

「無常」の文学として、『平家物語』『方丈記』『徒然草』などがある。
 自己と世の無常を鋭く見つめる人こそが、同じく無常を生きるすべてのものへの共感を持ち得るのであり、それ故に、無常を自覚する人こそが、深い心を持った好ましい人物だと兼好は言う。

 

 仏教と「道」の思想

3-1 修行と「悟り」

 修行の一瞬、一瞬こそが実は、「悟り」の瞬間であり、修行において「悟り」が現される。仏道修行の構図は、日本文化における「道の思想」として花開く。稽古を続ける中で自己の心を磨き、人としての道や徳を体得することが目指されるのである。

 
3-2 ヘリゲルの弓道修行

 阿波研造に入門して弓道の修行をしていたヘリゲルが、「無心」の射ができるようになった。的に矢が当たるかどうかが問題なのではなく、無心の射が実現出来るかが問題なのであり、それが実現出来れば、矢は自然に的に当たる。「無心」は仏教の「無我」「無執着」に通じる。

 

 葬祭と仏教

4-1 先祖供養と仏教

 仏教の発祥の地であるインドまでさかのぼってみると、僧侶が祭儀に携わっていたという形跡は見当たらない。しかし日本では仏教が葬祭という形で死という問題を引き受けた。

 
4-2 荒ぶる魂の救済としての仏教儀礼

 そもそも、日本人は、死者を祀らなければ祟りをなす恐ろしい存在と考えていた。・・・しかし、子孫たちがその霊魂を定期的に供養することによって、・・・霊魂として個体性を失って「祖霊」となる。

 

引用
頼住美津子、「第8章 仏教と日本文化」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)
写真8-1 茶室待庵のにじり口
写真8-2 弓道修行


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