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2017年5月9日火曜日

(868) 「すみませんでした」の意味


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(K0011) コントロールできる部分もある <仕上期>
=====

 

会話で「ごめんね」を乱発する人がいる。
私から見ると謝る必要がないので、戸惑ってしまう。

「わたしのために、あなたが不愉快になったのではないでしょうか。
 あなたを困らせてしまったのではないでしょうか。
 もしもそうなら、ごめんなさい」
という意味かなと思っている。

謝っているとか、感謝しているとかいうより、
相手の気持ちへの配慮を感じる。

自分が正しいとか、正しくないとかは、
気にかけていないようである。

 

もう少し突っ込んで検討した。まず、辞書で調べた。

===== デジタル大辞泉
すみ‐ませ‐ん【済みません】:
 
相手に謝罪・感謝・依頼などをするときに用いる。
「連絡が遅れて―」「お見舞いをいただいて―でした」「―が本を貸してください」
=====

 
つまり、「すみません」には、謝罪・感謝・依頼の三つの意味があるので、
そのどれかを、聞き手が読み取ることになる。

 
「すみません」の基本は「申し訳なく思う」ではないかと私は思っている。

 
【依頼】 これには、違和感がない。

誰かに何かを依頼すると、相手に何らかの負担がかかる。
それに対して「申し訳なく思う」のは、自然な姿だろう。

 
【感謝】 これには、違和感がある。

「そんなに良くしていただいて大変恐縮です」といった気持ちがあるのだろうが、
「ありがとう」と言われると嬉しく、「すみません」と言われても嬉しくない。
「すみません」と言われても、謝罪なのか感謝なのか依頼なのかわからない。

感謝の気持ちを伝えたいときは、率直に「ありがとう」が良いだろう。
私も、心がけて「ありがとう」と言うようにしたい。


 

【謝罪】 当然のようで、これが一番複雑である。

自分が悪くないのに、謝罪の意味の「すみません」が使われるケースが多い。
三つのケースを挙げる。

   結果責任
   連帯責任
   不作為責任

 
   
===== 大辞林 第三版
結果責任:

故意・過失の有無にかかわらず
結果に対して責任を負うこと。
=====

故意も、過失もなく、自分が悪くなくても、
悪い結果に対して、責任を感じて「すみません」と言う。

 
===== 大辞林 第三版
れんたいせきにん【連帯責任】:

複数の者がある行為について連帯して負う責任。
=====

自分がしたのではなく、仲間がしたことなのだが、
あたかも自分にも責任があるように、「すみません」と言う。

 
===== ブリタニカ国際大百科事典 
不作為犯:

不作為によって成立する犯罪。
すなわち法律上一定の法益侵害の結果を
防止しなければならない義務のある者が,
その果すべき義務にそむいて放置したために発生した
犯罪的結果について刑事責任を追及される罪である
=====

もし私が何かしたらこんなことにならなかったのにと、
何もしなかったことに責任を感じ、「ごめんなさい」と言う。

 
自分が悪いことをしたわけでもないのに、
簡単に謝罪するのは、日本人ぐらいだろう。

閉ざされた村社会において、閉ざされた国の中で、
このような心遣いで相手を思いやり、住みやすい社会をつくってきた。
美徳だと思う。

ただ、開かれた社会に出て行ったときは、通じず、誤解を生む余地ができてしまう。

 

「すみません」という言葉の裏にこのようにとっても広い、
こころ豊かな世界がある。

日本の良い文化だと思う。

逆にそれだけに、今言われた「すみません」の意味をくみ取るのは至難の業である。

 

現実的には、 “ Simple is best”  単純が良いだろう。
難しく、分析的に、考えなくてよいだろう。

「すみません」とい言葉に含まれるのは、
「私は、あなたのことを大切に思い、あなたと仲良くしたいのです」という心。

 
「すみません」と言われたとき、
いつも、このメッセージだけを受け取って、間違いないと思う。

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